高校球児たちの夏と言えば、やっぱり甲子園。
全国47都道府県の球児たちが目指す大会、それが甲子園です。
頂点に立てるのは、もちろんたった一校のみ。
NHKでも生中継で放映されるほど、日本国民にとって馴染みの深い大会です。
よく試合に敗れたチームが、甲子園の土を袋に詰めて持って帰っていくのを見かけますね。
そもそもそれはいつから始まったのか?土はどこから来ているのか?その後の使い道は?気になりますよね。
今回は、甲子園の土についてまとめてみます。
いつから持ち帰るようになった?
諸説は、3つあるそうです。
●1937年第23回大会で、熊本工業の投手だった川上哲治選手がユニフォームのポケットに入れて持ち帰った。
●1946年第28回大会で、東京高等師範付属中の佐々木監督が、最上級生以外の選手に「来年また来る!!」という意味で持ち帰らせた。(ただし、この年は、阪急西宮球場であって甲子園球場ではない。)
●1949年第31回大会で小倉北のエース福嶋一雄選手が無意識にズボンのポケットに入れた。
その後、それを見ていた甲子園の審判員からの励ましの手紙が届き、そこに「学校で教わらないことを君は学んだ。尻のポケットにある記念の品、後生大事にしたまえ」と記述があり、その行為に気付いた福嶋選手は玄関の植木鉢に入れた。
ちなみに第23回大会の川上選手は、甲子園の土の持ち帰りは、周りの選手の真似事であり、自分が最初ではないということを後に語っているそうです。
ということは、実際にいつから始まったのかは、誰もわからないということなんです。
土はどこから来ている?
選手が持ち帰っている土、ただの土ではありません。
ボールが観客席からも観易くなるよう配合されている、ブレンドされた黒土なんですよ。
ちなみに黒土の産地は、毎年決まっているわけではないそうですが、例として岡山県日本原、三重県鈴鹿市、鹿児島県鹿屋、大分県大野郡三重町、鳥取県大山 などの土が挙げらています。
そこに甲子園浜及び香櫨園浜社有地 、瀬戸内海産の砂浜 、中国福建省の砂を混ぜ合わせて作られているんです。
しかも黒土と砂の割合は、季節や気候により配分を変えてブレンドされているとか。
とても手間暇がかかっている土である、ということですね。
持ち帰った後の使い道は?
学校や人によって違うそうです。
●自分の学校のグラウンドに撒く
●小瓶に詰めてお世話になった方へ配る
●自宅に飾っておく
ちなみにグラウンドに撒く理由としては、「甲子園の土を来年も踏むぞ!!」という意味もあるとか。
まとめ
この感動シーンである甲子園の土の持ち帰り、この行為は原則的には禁止されているそうです。
選手たちが持ち帰る分については、黙認しているんだとか。
禁止とはびっくりですね。
選ばれし者のみが、踏むことの出来る甲子園の土。
ぜひ一度見てみたいものです。